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佐藤優・ナイツ(土屋伸之・塙宣之)著 『人生にムダなことはひとつもない』(潮出版社)、2018

確固たる信仰を持って生きるということ

 唐突な組み合わせの鼎談だと思われるが、この三人に共通するところがある。それは3人とも確固とした信仰を持っているということだ。

 佐藤優は同志社大学・大学院の神学部で組織神学を学んだ。敬虔なプロテスタントのキリスト教徒だ。また、ナイツの両氏は、創価大学(創価学会の教義・信仰を学ぶ場ではないが)の落語研究会で出会うこととなる。この二人は創価学会の熱心な信徒である。

 この3人はもう一つ、共通する面を持つ。それは、レベルの差こそあれ、三人とも挫折を経験しているところだ。佐藤優は外務省にいた際、背任容疑で逮捕・拘留された。塙はバイク事故で再起不能なところまで行く。土屋は公認会計士を目指すも挫折し、それを諦める。ナイツとしては、なかなかM-1グランプリで勝てない。そういう経験から、何が大事で、どのように乗り越えてきたかがわかる。

 最近、佐藤優は創価学会の息のかかった知識人として扱われることがあるが、それは間違いだということは本書を見るだけでもわかる。佐藤は創価学会をより深く認識した稀有な良心的な知識人といったほうがいいだろう。
 
 この三人が自分たちの少年時代を語りあい、青春時代の挫折をどう乗り越えていったのか、そこを中心軸にして、青春時代・仕事・友情・夫婦・お金、ひいては人生とは、信仰とは、ということを真剣に語りあっていくのがこの本だ。
 
 この本のタイトルは、挫折というムダと思われることも、後になってみるとすべて必要だったということを語っている。宗教的なことを軸に語ってはいるが、宗教臭くはない点は特筆すべきだろう。また、創価学会(=日蓮仏教)とプロテスタントという違う宗教がどのように共存しているか、という点から本書を読んでみても面白いかもしれない。

 勇気づけられる本であるし、一歩前へ進むのをためらっている人にこそ読んでもらいたい本である。

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こうの史代 『夕凪の街 桜の国』

悪意なき差別とどう対峙すべきか

この物語は、ただ広島の原爆の悲惨を描いただけのものではない。悲しみを描いただけでもない。読んでいくと、原爆とは何か、原爆の残したものとは何なのか、戦争とは何なのか、そのことを根本から問おうとしているように思われた。
 前置きに「広島のある日本のある世界を愛するすべての人へ」(p.4)という作者の言葉があるが、広島を契機として、「ヒロシマ」、さらに人間社会の混沌としていてドロドロした矛盾、不条理、見たくないものを見つめた作品だと感じた。

 『桜の国』の章で、僕の心に残ったのは、息子を思う母親から出た、

「…あんた被爆者と結婚する気ね?」(p.84)
「何のために疎開さして養子に出したんね?」(同)
「なんでうちは死ねんのかね」(同)
「うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ」(同)。

 たった、一ページにある母親の言葉だ。

 広島で原爆を受けた母親がさらに、息子の結婚したいという被ばくした女性に対して反対しようとする場面だ。同じ被ばくという体験をしてきた女性が、同じく被ばくしてきた女性を差別しようとしている矛盾、不条理。
弱いものが、さらに弱いものを否定する。しかし、これは悪意のある差別ではない。理由のある善意があるからこその差別といってもいいだろう。人を思う気持ちがあるからこそ、息子を思う気持ちがあるからこその言葉であり差別だ。

 原爆を受けたという苦しみや痛み、だが「死ねなかった」という思い、皆が死んだ中で今も生きていていいのだろうかという煩悶、そういうことを味わった人間から出てきている言葉だ。

 僕は、現時点でこの言葉を受け入れることはできない。が、しかし否定することもできない。答えがあるわけでもない。この言葉が正しいか正しくないかもわからない。正しいとか正しくないとかで判断できるものでもないのだろうとも思う。唯一できることは、この言葉の持つ意味を考え問い続けることだと思う。
 
 この言葉をどう受け止めていけばいいのか、どう向き合っていけばいいのか、どう対峙していけばいいのか。ずっと問い続けなければいけない。少なくとも僕はそう感じた。

中井久夫 監修・解説 2016『統合失調症をほどく』(ラグーナ出版)。

統合失調症をほどく第一級のテキスト

統合失調症の当事者やその家族、精神科医から絶大な信頼をえている臨床の精神科医である中井久夫氏による数々の言葉をテキストとして、ラグーナ出版で働く統合失調症の「患者」たちが編みなおしたものが本書である。

そのテキストを読んで「考える患者」たちがコメントし、体験談や中井氏との対談などから構成されている。「考える患者」とはラグーナ出版で働く統合失調症患者たちであるが、ひいては統合失調症の読者たちのことでもあるだろう。

「当事者研究」で有名な北海道浦河の「べてるの家」の人々が統合失調症患者の「軟」的志向だとすると、本書の「ラグーナ出版」の人々は直接的「硬」的志向であるとい言えるかもしれない。

タイトルの『統合失調症をほどく』の「ほどく」とは、「解く」であり、回復を意味する「寛解」(かんかい)を目指すための本である。私の知る限りでは、これほどよくできた本は無いように思う。たまには本屋に行くものだなぁと感じた一書である。

また、この本は「臨床の場」、「看護師」「医師」「当事者」「その家族」にとって、きわめて有意義なものであるといえる。中井氏の言葉は統合失調症を持つものにとって、とても「腑に落ちる言葉」があり、「どうしてこうも、分かっているのだろうか?」、「そういうことか!」と感じるほどである。なぜ中井氏はこうもわかるのだろうかと考えてみると、おそらく中井氏は、ポール・ヴァレリーをはじめとして、詩歌の翻訳をやっており、精神医学的知識・経験と「詩心」と合わせ持つからではないか。詩心は、直観と理論との橋渡しをするのではないかと私には思われるのである。

私(統合失調症当事者)は、しばらくは中井久夫氏の言葉とともに、統合失調症を解(ほど)いていきたいと思うのである。2016年の中でも、収穫のあった一冊である。

ちなみに、『中井久夫集』[全11巻]が来年2017年1月、みすず書房より刊行開始されるそうです。

プロフィール

mamu895

Author:mamu895
トーシツの持病(障害)を持っていることもあり、非正規で働くアラフォー男です。なかなか本は読めないし、書評も思うように進みませんが、本は好きなので読んで良かったと思う本・感動した本を紹介していけたらなと思います。今後読みたい本なども書いていけたらと思います。最近になり改めて公共図書館の魅力を感じています。

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